On Being a Unique HSP
他の誰でもないHSPとして
By Elaine - 47 Comments
もうご存知の方もいると思いますが、私はHSPに関わる活動のいくつかから(研究を除いて)身を引き、HSPではない別のテーマについて今は本を書いています。もう降りなければならないと自分でも分かっていたのですが、パンデミックのことがあってから、特にメディアに対して、HSPを一般化する仕事から離れたいと思うようになりました。もしインタビュアーから”HSPはロックダウンに対してどんな対処ができますか?”と質問されたら、きっとこう答えると思います(ちょっとぶっきらぼうじゃないかと心配しながら)―”わかりません、きっとひとりひとり違うのではないかと思います。苦痛を感じるHSPもいれば、歓迎しているHSPもいるかもしれません。同じ嵐の中にあっても、乗っているボートはそれぞれまったく異なっているのです”と。そして型通りに、HSPに良くあてはまることをいくつかつけ加えるかもしれません。
これまでHSPについて一般化してきたことについて悪いとは思っていません。すべて研究や私の長年の経験を基にしてきたものですし、多くの人々の役に立ってきたこともわかっているからです。でも、今、私の心に強く印象付けられているのは、私たちがみな、どれだけ違っているかということなんです。もちろんすべての存在は異なっていますし、HSPの中でさえ、いえ、HSPの場合は特に、一人一人が異なっているように思えます。それはつまりこういうことなのではないでしょうか。私たちが環境に対して他の人たちより敏感だということは、同じ環境から受ける影響について、私たちは必然的に他の人たちよりも様々な反応をするからなのだと。
人間はひとりひとり違っているという考え方はあまりにありふれているので、そのテーマについてあまり触れたくありませんでした。でも、科学的にもスピリチュアルな意味でもそれは紛れもない事実です(ほとんどのスピリチュアルな伝統は、神あるいはカルマが私たちひとりひとりに与えた固有の才能を生かすように説いている)。だから私はよく冗談でこんな風に話すんです―心理学は、人々がどれだけ同じか、それともどれだけ違っているかを研究する学問なんだと。そしてバンバー・ステッカー(※)でよく目にするこんな標語をとても気に入っています―”Be yourself. What are the options?”(自分らしくあるために、どんな選択肢があるのか?)。あまりに上手く要約してくれているので、もうこれ以上つけ加えることは何もないのではと思えるほどです。
※訳者注:バンパー・ステッカーはアメリカ人がよく車の後ろに貼り付けているステッカーのこと。その人の人生観や好きなスポーツチーム、宗教や政党、所属している学校やジョークなど多種多様なステッカーがあり、アメリカ文化の一つになっている。
でも真剣には…
ただ、多くの人は、一人一人が異なるという考えをそんなに真剣に受け止めているようには思えません。そして高敏感性について知識を深めることで、私はそれを痛切に感じるようになりました。HSPとそうでない人たちの違いがどれだけ大きいかを、非HSPの人たちにわかってもらうことがとても難しかったからです。では、それ以外の違いについてはどうでしょう?
人々が一人一人の違いについて深く考えないことを、社会や人が生まれ持った性質のせいにするつもりはありません(確実に良くなってきてはいますが…)。例えば、科学や医学の世界は、”一般的”に何が正しいかを追求することで発展してきました。そして私たち一人一人も、心の中に、”一般的に”人はこういうものだという仮説を立てようとします(たいてい私たちは、きっと相手は自分と同じではないかと考える)。そして新しく誰かと出会った時は、そのステレオタイプを当てはめようとします。
もちろん私たちは、その世代、ジェンダー、民族性によって人について異なった考え方をします。でも、それぞれのグループの中では、同じ問題を抱えています― 一人一人の違いについては分からないという問題を。ただこれは避けることができないでしょう。なぜなら、予測をしたり、計画を立てたり、他の誰かに共感したり理解するためには、一般化が欠かせないからです。私たちがもっと知ろうとするのなら。
違いこそあなた自身
とは言っても、自分に向けられた一般化やステレオタイプは、自分に当てはまらないとわかっているのなら、受け入れる必要はありません。ただその前に、気づかなければなりません。私の11歳の孫の男の子はヨットを習っているのですが、帆を操舵しながら海に出たり戻ってくるときに、よく”その年でなんて上手いんだ”と言われます。私たちが一緒に海に出る時も、私は” あなたの年で、ボートの上でよくそんなに機敏に動けますね”とよく言われます。この前も彼と一緒に海に出た時、似たようなことを言われました。だから私たちはこう決心したんです。私たち二人は、このような年齢差別を口にするのはやめようと!
自分についてはっきりとした認識を持ち、それを他の人たちとシェアし、彼らの見方が間違っていたら、それをふさわしいものに変えるよう準備しておくことがあなたの仕事です。例えば、こういう仕事ならできるけどこういう仕事はできない、こういう状況が好きでこういう状況だったら自分の力を発揮できる、とあなたは話す必要があるのです。あなたを明確に知ることから得られるものは、あなたに何が向いているのか、だけではありません。それはHSPにとって好ましいもの、私たちHSPの中にある優れたものを知ることであり、それによってこの世界でどうすれば私たちは最も役に立つか、ということにつながる可能性を持っているのです。
もしよかったらあなたのリストを作ってみて
もしやってみたいなと思ったら(これについてもみなさん様々でしょう!)、すこし時間を取って、あなた自身について真剣に、そして客観的に考えてみてください。例えば、あなたの特徴、トラウマ、スキル、強み、好み、嫌いなこと、変わっているところ、欠点(私は、他者に役立たないだけでなく、自分にも役立たないものを欠点と呼んでいます)などを考えてみてください。そしてそのリストを書き留めてみましょう。お店の商品の棚卸のように、自分の棚卸だと思って。それほど注目するほどの価値はあなたにはない? 徹底的にやることはありません。でもやってみるとこのリストは結構楽しいですよ。
そのリストには、あなたの年齢やこの先どれくらいの人生の時間があるか、そして年を重ねるにつれて、そのアイテムに起こりそうな変化についても、書き加えてみてください。例えば、あなたの健康や、資産、長期的な負担、あるいは他の人たちから得られるサポートなどもあるかもしれません。
もしそのリストにあなたの欠点や問題、あるいはこうなりたい自分やこうはなりたくない自分が含まれていたら(というか含まれているべきです)、これからお話しする3つの解決策を(あるいはそれ以上のことを)試してみてもいいかもしれません。ひとつは、それらが強みでもあるという点からリフレーミング(再構築)してみること。例えば、あなたが頑固だと言うなら(でもそれって粘り強いということでは?)、傷つきやいなら(でもそれって繊細なのでは?)、”共依存的”なら(でも献身的で共感力が高いのでは?)、衝動的なら(でも閃きに忠実なのでは?)、気が散りやすいのなら(でもチャンスに敏感なのでは?)、そして忘れっぽいのなら(別の意味で賢いと言えるのでは?)といったふうに。
2つめの解決策は、問題だと思っていることに対して。もしそれがあなたのクセや習慣なら取り除く、もしくはその原因となっているものを癒します。そしてこれは次のテーマへと続きます。3つめの解決策。もし今話したことを2つか3つ試してみて、それでも解決されないなら、その欠点を受け入れてみるんです。そう、ひとつのパッケージとして。完璧な人なんていません。それにあなたのそのクセを愛しく思ってくれる人たちだっているかもしれません。受け取り方は人それぞれです! それにその個性を有効活用できる方法もあるかもしれません。そうすればあなたはその問題の専門家にだってなれる。
さあ、では、完成したあなたのリストを見てください。もしそれ見て、期待していた自分違っていてがっかりしてしまったとしても、じっくりと、時間をかけて見つめ直してみてください。本当の自分と向き合うことで、本当ではない自分を手離すことができるかもしれませんよ。あなたはあなたなのです。
あなたの中のその人をどう生かすか?
そうしたら今度は、ある仕事をしてくれる人を探している人を思い浮かべ、その人の視点で客観的にそのリストを眺めてみてください。どんな仕事でも結構ですよ。図書室の運営、病人を世話する人、ドッグウォーカー(犬の散歩代行)、天文学の研究者、読み書きを教えてくれる人、良き友人、詩人や作詞者、あるいはグリーティングカードの代書をしてくれる人等なんでも。ここでいう仕事とは、(そのリストを書いた人が)睡眠や食事などをしている時以外にできること、という意味です。その(リストの)人物は、人々を気持ち良くさせる(あるいはそばを通る人を楽しませる)美しい庭を持っていませんか? その人は、犬や猫たちを幸せにしていませんか? その人は周囲を楽しい気持ちにさせ、明るくさせていませんか? その人はユーモアがある、あるいは素敵な着こなしをしていませんか? あるいは、子どもたちを楽しませることで、その子の親たちまで心地よくさせていませんか? あるいは、大なり小なりいろんな方法で、環境を大切にする活動をしていませんか?
あるいは、その人は、食べ物や衣服、教育、愛、旅行などで他の人たちから頼りにされることはありませんか? あるいは、普段人々はその人のことを気に留めないけれど、困ったことがあった時には、(その人のリストにある特徴のせいで)感謝をされるような人ではないでしょうか?
私たちは皆、人生の目的を必要としています。中には、“その目的を生きるために私たちはここにいる”と言いきる人もいるでしょう。あなたは自分にふさわしい、あるいは自分に完璧にフィットする目的をもう見つけましたか? あるいは、もう少しで見つかりそう? もちろん、状況が変われば目的も変わっていきます。あなたの現在の目的は子どもを育てることでしょうか? あるいは自分の仕事に満足してリアイアし、後進に道を譲ることでしょうか? あるいはもう一生懸命に働いていない新しいあなたに、いままでとは違う喜びを感じることでしょうか? 決めるのはあなたです。
無常(非永続性)について書いたこの前のブログには、多くのコメントがあって、私はそれを楽しく読んでいます。みなさん、そのテーマについて話し合ってくれたり、変化や喪失といった現実について自分はどう対処しているのか書いてくださった方もいました。ですから今回も、個性的であることの喜びや難しさについて、みなさんからどのようなコメントがあるのか楽しみにしています。