The Highly Sensitive Person

Graceful Boundaries - Part II

優美な境界線 パートⅡ

By Elaine - 24 Comments

 優美な境界線パートⅠを要約すると、“ノー”と言う必要がある時は(もちろん、これは私たちにとって特に重要なことです)、丁寧で、優雅なやり方がいい。ただし、相手に弱々しい印象は与えないこと。もうひとつは、私たちは生まれながらに”薄い境界線”を持っていて、それは私たちに与えられている深い処理や共感性の一部である、ということでした。ただし、あらゆるシステムのあらゆる境界線がそうであるように、自分が望むものは受け入れ、望まないものは外に出した方がいい。例えば、刺激過多になってしまうような仕事やイベントは、ノーと言って閉め出した方がいいでしょう。

 パートⅡでは、もう少し、この”薄い境界線”の有用性について触れたいと思います。というのも、パートⅠを書いた後、私は偶然、何年か前に書いた自分の詩を見つけたからです。その詩の最初の部分で、私は”窓”のメタファーを用いていました。それも世界と自分との間の境界線として。驚いたことに、この長く忘れていた詩のタイトルも”窓”だったのです。

 さらにこのパートⅡでは、私たちHSPが、他者の境界線を気づかないまま侵すことがあるかどうか、についても探っていきます。当初はその際、”ボリューム”のことも一緒に取り上げるつもりでした(声の音量だけでなく、率直に伝えるなど、メッセージ全体の”大きさ”として)。ボリュームを繊細に使いこなすことが、優美な境界線の鍵となるからです。でもそれだと、この境界線のお話し全体が境界線に欠けてしまいます! ですから、ボリュームについてはパートⅢで、さらにパートⅣで親しい関係における境界線についてお話ししようと思います。もしパートⅤがあるとしたら、今度はあなたがあなた自身のために、自由に境界線を設けたり、取り払ったりしてみて下さい!

1992年ごろ書き留めた詩です


夜明けの淡い空に向かって 窓を思いっきり開けたのに
今 その色は黒く あまりに大きく広がっている
私の周りに漂う 似つかわしくない香りは
水気をふくんだ毛糸 水気をふくんだ木 水気をふくんだラフィアヤシとシルク
謝らなければと 私は明かりをつけた
謝るのは 傷ついた化粧台
それと グジャラートのミラー刺繍
あんなに華やかだったのに ボロボロに色褪せてしまったのは私のせいだから
内にあるものを 劣等感を(その謙虚さと 内気を わたしはずっと讃えてきた)
さらけ出してはいけないと
一日中 独りで 守ってる
内にある彼らと 外にある気まぐれな嵐の間にある
こわばって震えるレースひとつで

※訳注:グジャラートはインドの北西部にある地方の名で、細かく割った鏡を布に縫いつけていくカラフルな「ミラー刺繍」などで知られる。

薄い境界線は強みにもなり得る

 このはるか昔に書いた詩は、物を整理し、捨てようとしている時に偶然出てきたもので、この詩を書いたことを私は完全に忘れていました。それも、もしかしたら故意に・・・。というのはこれを書いた当時、私は深層心理療法を受けるひとりの患者で、忘れていた辛い記憶と、襲ってくる怖ろしい夢の中でおぼれそうになっていたからです。その時、私の過去と現在の境界線、意識と無意識の境界線は、とても薄くなっていました。この詩はそれについて書いたもので、嵐のようなプロセスと、それまできちんと分けられていた私の自我の間の境界線は、まさに開けっ放しになっていたのです。

 でも、これこそ私が、薄い境界線が役に立っていると確信しているケースなのです。もし“表面にあらわれている症状”の原因が根深いのなら、その根本に取り組まない限り、その心理療法は単なる応急処置になってしまうからです。それに、まだ研究によってはっきりと証明されているわけではありませんが、私は、HSPは治療による回復スピードが速いと確信しています。それも、HSPは深いという理由だけで。そう、ですから、これこそ薄い境界線のもうひとつの利点なのです。またその時の私は、うつや不安を感じている時でさえ、外の世界にとても上手に対応していました。つまり、インナーワークとアウターワークとの間に厚い境界線があったからです。HSPだったらこの両方ができる、私はそう信じています(そして深いワークにはこれが欠かせません)。

HSPが境界線を厚くしすぎてしまう時

 とは言っても、つい私たちは、境界線を厚くしすぎることで、過剰に自分を守っていないでしょうか? そうして一時的に、あるいはいつも、世の中の痛みや自分自身の痛み、あるいは新しい考え方さえシャットアウトしてはいないでしょうか? 「考えないようにしている」「感じないようにしている」などと。あるいは、あいまいな言い方で最後は“イエス”と言ってしまったりしていませんか? あやふやな、“薄い”やり方で。たとえばこんなふうに―「う~ん、そうね、もしかしたらやるかも」「検討してみる」「考えておくね」などと。

 私が息子に映画“Highly Sensitive and in Love”の脚本を見せた時のことです(この映画は境界線とセルフケアの必要性に重点を置いている)、彼はこうコメントしました―「なんだかちょっと自己中心的な感じがする」と。彼は、HSPは他人よりも思いやりがあって、寛容な人たちだと考えていたんですね。

 もちろんHSPはそうだと、私も思っています。でもだからこそ、映画ではセルフケアの大切さをクローズアップすることにしました。もう一度お話ししますが、相手に親切にすることは大切です。たとえ相手との間に私たちが良い境界線を築けていたとしても。もし相手の力になれるほどの元気があれば、当然私たちはそうしますよね。でもとても疲れている時は、それが難しくなってしまいますし、やったとしてもあまり良い結果に結びつきません。境界線やセルフケアを強調したいのはそこなのです。私たちHSPが、自分に最適なやり方で、もっと誰かの力になるためには、それが必要だからです。

 優美な境界線を築き方に関して言えば、私は、”真実を話す、でもその言い方は優しく”を心がけています。もし相手の要求すべてに応えられないとしても、できる範囲で自分にできることを、相手に強調して話すことはできますし、できない理由を伝えながらも、その人を高く評価したり、お願いをしようとしたその人の姿勢自体を高く評価することはできます。だから私が好きな例えはこうです―”表面はやわらかく、背骨は固く(※)”。”表面は固く、背骨はやわらかく”ではなく。

※訳注:”他人に思いやりを持つ、でも自分を支える背骨は強く”という意味。仏教や瞑想で使われることのある例え。

 大切なのは、微妙な違いを理解し、“薄い”から“厚い”へ切り替える、あるいは、必要に応じて“薄い”へ戻るタイミングを読むことができるようになることです。たとえば、あなたの友人がお金を借りたがっているとします。あなたは以前その人にお金を貸したことがあり、そのお金はまだ返済されていません。それで、関係に隔たりができてしまったけれど、あなたはまだ彼のことが(お金で困っているかどうかは別にして)好きです。彼は今度こそちゃんと返すよ、と約束します。さて、どうしますか? あなたは彼の話をちょっとだけ聞いて、お金に関するシャッターを降ろしてしまうかもしれませんね。でも、彼が本気で変わったように思え、あなたへの気遣いが感じられ、そして友人との約束がどれだけ大事かを本当に理解しているように思えたら? もし、彼が本当にお金に困っていて、最悪あなたがそのお金を失っても、大丈夫な余裕がある時は? そしてあなたの窓に、友人がセレナーデを歌っているように聴こえたら・・・(※)。彼の歌が完璧でなくても、その時あなたは、一度窓を開けてみる。

訳注:原文は”that’s like a friend serenading you at your window”。もしかしたらこれは、ジャズの名曲『キスへのプレリュード』の歌詞の一節、”That was my heart serenading you My prelude to a kiss(=それは僕の心からのセレナーデ キスへの前奏曲)”を意識したものかも。デューク・エリントンの美しいナンバーです。



HSPが他人の境界線を気づかないうちに侵すことがあるか?

 う~ん、もしあったとしたら、これはあまり優美ではないかもしれません。実はこの質問をある人からされたことがあったのですが、それまで私はこのことについて考えたことがありませんでした。もちろん、HSPがこれを意図的にすることはありません。私たちは、どれだけ相手がそれを嫌がるかを知っていますし、他人の境界線にもすぐに気がつくからです。たとえば買い物に行った時のことを思い浮かべてみてください。たいていのHSPは、他の買い物客がどこにいて、どんなタイミングでそばを通ろうとしているかをわかっていて、その進路を塞がないよう、自分のバスケットを脇に置いたりしますよね。でもいったいどれくらいの人がこういうことを気にかけているでしょう? そう、約20%です!

 それでも、私たちが他人の境界線を侵している可能性について考えてみることは、とても大切なように思えます。例えば、私自身についてはこんなことが想像できます。相手の個人的な見解や経験を聞きたいと思って、自分が興味を持っていることや、深い質問をしたとします。でもあまり敏感でない人には、それが自分の境界線を侵害しているように感じられるかもしれません。少なくとも、二人の関係においてそれが聞ける段階に至っていない時や、周囲で誰かが聞いている時には。例をあげると、間違ってこう言ってしまう時があります―「あなたとお母さん、あまり上手くいっていないようだけど、何かあったの?」。

 あるいは、実際には相手にはないコミュニケーション・スキルをあるように思いこんで、こう言ってしまったこともあります―「そんなつもりはなかったんだって信じてる。もし自分の主張を通したいと思っても、相手に恥をかかせるようなことは、あなたが絶対にしたがらないことだから。」

あるいは、こんな自分の姿も想像できます。誰かとのおしゃべりに飽きてしまった時に、何か深いものが頭に浮かんできて、ついこんな言葉が口をついてしまう―「ねえ、ちょっと思ったんだけど、人類は進歩してるって思う?」。会話を中断させるこうした予期せぬ発言は、普段あまり深く処理しない人たちに対して、“そろそろ私が興味を持っているものにも波長を合わせて”と、相手の興味を無視して要求しています(=境界線の押し上げ)。

 あるいは、こんなことを話してしまうかも―「いまタイムトラベルにとても興味があるんだけど。いつか人類がタイムトラベルができるエビデンスだってあるのよ。例えば、アインシュタインの言う時空連続体がその一つ。どう?そう思わない?」。すると相手の反応はきっとこう―「ううん、ぜんぜん」。

 あなたはこれまで、“最善のことがわかっている”せいで、誰かを煩わせたことがたくさんあるんじゃないかしら? あなたの深い処理に基づいて、その状況における最善の意見が次から次へと湧き上がってくるせいで。「ハイキングはやめよう、今日はとても暑くなるみたいだから」「だめよ、そのレストランは試したことがあるし、あなた美味しくないって言ってたじゃない」「その道を行ったら、確実に渋滞につかまるよ」。この時、またもやあなたは、他人の考えや計画を踏みにじってしまっています。彼らが尊重してほしいと思っていたかもしれない、彼らの因果的に考えられた低いフェンス、もろい境界線を、まるで軽々と跳び越えてしまうかのように。

 あるいは、まるで相手の心が読めるかのように、相手に感じさせたことはありませんか?それを相手は、侵害されているかのように感じてはいなかったでしょうか?

 さらに、私たちが”複雑にしてしまう”場合があります。政治問題や世界情勢、環境などについて。例えば、健康についての場合はこうです。あなたはこれまで腰の痛みや、胃腸の不調について話した時、誰かから(おそらく他のHSPから)、山のようにアドバイスを浴びせられたことはないでしょうか? しかもそのアドバイスによって、あなたがその時試していた解決法について不安にさせられたことは? あるいは、あなたの健康への悪影響や、特定の食品(それもあなたの大好きな)の悪影響について、たくさん話を聞かされたことはありませんか? オーケイ、じゃあ今度は、あなたが同じようなことを誰かにしたことは? 誰かが仕事や友人関係でトラブルを抱えていた時、”過去の自分のとても似た経験”から、とっても優しく、たっぷりと、アドバイスをしたことは? 私たちは、自分が役に立つ人間だと確信しています。でも、その意見が本当に求められているかどうか、一度チェックしているでしょうか?

 どちらだとしても、ここで私は、キリスト教の”主の祈り”( いくつかのバージョンがあります)の意味について、考えてみたいと思うのです。”我らを侵害する(trespasses)ものを、我らがゆるすごとく、我らの罪をも、許したまえ”。ここでは、私たちの”罪(sins)”は、様々な境界線の侵害だと言っています。ですからこの言葉は、こんな風にも考えられるのはないでしょうか―”私たちの境界線を無視したものを、私たちのそれと同じように、ゆるしたまえ”と。

※訳注:主の祈りには、時代や教派によって様々な訳があります。1662年版英国聖公会祈祷書では、“罪”の部分が“trespasses(侵害)”となっていますが、1988年ELLC版では“sins(罪)”となっています。大元はマタイ伝の“わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、 わたしたちの負債をもおゆるしください”。

 オーケイ、私たちも悩みごとについてや、熱心になりすぎた時は、境界線を侵害する可能性があるということです。でもこれは、明らかに私たちにとって最重要の課題ではありません。ですからパートⅢでは、再度、境界線を維持するというテーマに戻りますね。境界線は、多くの場合目に見えず、メタファーに例えられます。ですからボリューム(様々な形の反応の豊かさとも言える)というメタファーを用いて、どうしたら境界線を、少なくとも相手に聞こえるように、時にははっきりと目に見えるように、できるかを見ていきます。昔、相手の頭をフライパンで叩いているアニメがあったのを覚えていますか? 強いボリュームのメタファーはあれかも。

最新のブログ記事

HSPの最新の本のお知らせ
The Highly Sensitive Parent

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。
25周年記念エディション

HSPのドキュメンタリー映画
Sensitive Lovers:恋人たちの関係をさらに深く探る”リリースのお知らせ

このドキュメンタリーは、 映画“Sensitive and in Love”に織り込まれた科学的根拠やアドバイスをみなさんに提供します。 詳しい情報はこちらから

Sensitive and in Love

私たちHSPにとっておそらく最も大切なもの―愛する人との関係に敏感さがどう影響するか―にフォーカスした長編映画。the Sensitive and In Loveの詳しい情報と購入はこちらから

センシティブ:語られなかった物語

レンタルと購入はこちらから


Entire Web
HSPerson.com

ニューズレターの購読申込

ニューズレター“The Comfort Zone”では、イベントや本のリリース、ブログ投稿、それ以外にもHSPだったら関心を持ちそうなニュースなどのアップデートやお知らせをいたします。ぜひお申し込みください。頂いた個人情報はどこにも提供いたしません。

メーリングリストへの参加はこちらから

※ニューズレターは英語のみになります。

このブログについて

これまでEmailニューズレターとして年4回配信していたComfort Zone は、2014年、現在のような形に生まれ変わりました。理由は、エレインにもっと時間的余裕を持たせたかったのはもちろん、ブログという形の方がより早く情報を発信でき、かつ柔軟で、読む人がいま興味を持っている題材についても取り上げやすいと思ったからです。さらにメーリングリストの購読をお申し込み頂いた方には、ブログに記事が投稿された際には、そのメールを通してお知らせを受け取れるようにしました。みなさんから頂いたコメントについては、エレインからお返事をすることはありませんが、すべてのコメントには目を通し、なにかインスピレーションを得た場合は、将来記事として投稿されるかもしれません。また、なにか重要なお知らせがある場合には、ブログよりもメーリングリストの方でその情報をお届けすることになると思います(ブログは年に4回、定期的にしかアップされないので)。過去にメールで配信したComfort Zone の記事の数々は、今でもまだタイムリーな内容を誇っています。豊富な量のComfort Zone アーカイブをみなさんがフルに利用できるよう、グーグルサーチを設置しました。ぜひそれを使って過去の記事あるいは現在のブログのトピックを探しみてください。

The Original Book

HSPのあらゆる側面をカバーした総合的な紹介書。世界中でベストセラー。32ヵ国語に翻訳。最新の研究を要約した著者の覚書もついています。

エレイン・アーロンの他の本はこちら

連絡先

連絡を取りたい方はお問い合わせのページから目的に合ったアドレスを選んでご連絡ください。

※このサイトはアメリカのアーロン博士のHPの日本語版です。メールでの連絡は英語でお願いします。
※日本語版へのご連絡はこちらへお願いします。

この日本語版サイトの文章及びデザインは、エレイン・N・アーロン博士の許可を得て使用しています。このサイトの翻訳文・デザイン等を、作成者の許可なく複製・利用することは著作権法で禁じられています  ―  日本語版サイト作成・運営 久保言史 kotton@mbr.nifty.com
Some of the design and wording of this website is used with the permission of Dr. Elaine N. Aron and nothing here should be reprinted without permission of the designer and translator, Kotofumi Kubo.