The Highly Sensitive Person

The Power of Inner Silence for HSPs

HSPのためのインナーサイレンスの力

By Elaine - 39 Comments

 去年のことです。私はある韓国の出版社から、もし人生で“最後の講義”をするならどんなテーマで話をしたいですか? という原稿依頼を受けました。これは韓国で出版するアンソロジー(選集)のためのもので、私以外にも多くの作家たち(ほとんどの作家をみなさんご存知だと思います)が同じ質問に答えていました。でも私にとって、そのテーマを考えることは簡単でした、それは―インナーサイレンス(内なる静寂さ)―です。HSPであるみなさんなら、直感的に私のチョイスを理解してくださったと思います。でも、あえてここでみなさんのために、簡単に私のエッセイをご紹介いたしますね。

 私の言うインナーサイレンスとは、もちろん、外の世界の静けさのことを言っているのではありません。仮に外の世界が騒々しかったとしても、あなたは内なる静けさにアクセスすることができます。たとえばそんな時は眼を閉じてみてください。それだけであなたは脳の中の80%の刺激を取り除くことができます。これはその場でできるHSPのダウンタイムといったところかしら。もう一つ、この静けさは、完全な静けさというわけでもありません。それは、心の静けさ、と言った方がいいかもしれません。より静かに、より穏やかになっていくための、静けさの各ステージがあるのです。でも完全な静けさにまったく手が届かない、ということはありません。それについて、これからお話ししていきますね。

 まずはちょっとしたインナーサイレンスから始めてみましょう。比喩を使わせてください。ランニング、ジョギング、ウォーキング、散歩、立ち止まる、座る、そして横になる、という段階を思い浮かべてみて下さい。これを心の中にも当てはめるんです。たとえばあなたが何かを失くしたとします。最初必死になってそれを探しますよね。頭の中ではいろんな考えが駆け巡ります。でもあなたはストレスを感じ始め、やがてあきらめる。でも後になって、あなたの頭の中の状態がランニングからジョギングの状態になった時、それがどこにあったのか思い出すかもしれません。あるいは、あなたは賢明にも、最後どこで見たのかを考えてみるために、座ってみるかもしれません。そうすればその静かな状態の中で思い出すかもしれません。

 あるいは、あなたは誰かの名前を忘れてしまい、どんなに頑張ってもそれを思い出せなかったとします。でも後で静かな状態になったら―私の比喩を使えば、ランニングをやめて立ち止まったら、名前を思い出すかもしれない。あるいは、あなたは何か問題を解決しようと必死だったとします。でも後でリラックスした状態になった時、つまり“座って”みたら、解決策が思い浮かぶかもしれない。こういうのもあります。あなたは何か創造的なことをしている。でも疲れを感じてその作業をやめてしまう。そしてあなたは比喩的に、あるいは文字通り、“横になる”。そうすれば、比較的心が静かになる夜になって、創造的な発想が得られるかもしれない。実際、クリエイティブな仕事をしている多くの人たちのが、最高のアイデアは夜、もしくは夢の中で、あるいは仕事を離れて休んでいる時にひらめいたと話しています。

 もし、すぐに行動に移さずに、ちょっと考える時間を持つようにすれば(HSPなら生まれつきそうしているように)、おそらくその行動はもっと賢いものになるでしょう。HSPが素早く行動しているように見える場合もありますが、このような時は、同じタイプの状況をすでに経験済みで、かつて行った、静かな状態での考えをベースにしていることが多い。実をいうとこれは、HSPにとっては純粋な生き残り戦略なのです。行動を起こす前に観察し、何度も考える。諺にもありますよね―“転ばぬ先の杖”、“矢は後ろに引けば引くほど、遠くへ飛ぶ”と。すべての人が(HSPであるかないかに関係なく)ちょっと時間を取り、落ち着いて考えるようにすれば、その行動(=生き残るチャンス)は、ぐっと向上することでしょう(実際もっと多くの人がそうしてくれていたら…)。

もしさらに深いところへ行ったらどうなるか

 では今度は、さらに深いインナーサイレンスについて見ていきましょう。もし職場であれ、学校であれ、毎日座って眼を閉じ、10分間静けさに浸れば、それが誰でその間何をしているかに関係なく、素晴らしく効果があることは、きっとみなさんも想像がつくのではないでしょうか。さらに深い段階に行くと、多くの人が、祈ったり、とても有益な思索をしていることに気がつきます。瞑想をする人もいるでしょう。私も46年に渡り、TMという瞑想をしてきました。TMを選んだ理由の一つは、この瞑想が、誰もが可能な深い休息とインナーサイレンスを目的にしているからです(TMでは瞑想に入る前に、“マントラ”という短い言葉を考えますが、この言葉自体に意味はなく、その先に行くことが大切になります)。ただ、どのような瞑想であれ、どんなに良く考えられた(深い静けさに入っていくための)メソッドであれ、そこには段階というものがあります。

 私がどれだけ深い瞑想に入っていけるかは、その日、私が現実の世界でどれだけ忙しく、そしてどれだけストレスを感じたかに左右されます。ただ、どのような深さの瞑想であれ、心の静けさには効果があります。ですから、全ての瞑想をわたしは“グッド”だと思っています。ただ、もちろんそれぞれの深さは違ってきます。私の瞑想を、とても深いを“1”、わりと浅いを“10”とすると(一日の間、たくさん考えたり、たくさん感情が動いたり、あるいはすぐ近くで気を散らすような刺激があって、ストレスのレベルが高かったという理由で)、心が安らいた状態で我が家で瞑想を行ったら、おそらく1~3になるでしょう。もちろんこれはこれで素晴らしい。でもストレスを感じている時、7~10の瞑想ができたら、こちらの方がより素晴らしいと私は思うのです。

 例えば、これまでの瞑想の中でベストなものとして私が思い出すのが、満員の地下鉄の中、それも駅と駅の間で止まり、明かりも消えてしまった中、立ったまま行った瞑想。あるいは飛行場の滑走路の上、二時間張りつけになった時に行った瞑想です。どちらの状況も時間が経つにつれ、他の乗客たちは不安になったり、怒り出したりしました。そんな中、私は冷静であろうと瞑想を始めました。私がその時できたのは、先ほどの目盛りで言えば、わずか9から10の間だったと思います。特に地下鉄で立ったままの瞑想は大変でした! それでも驚いたことに、そのわずか“9”の瞑想が、私のみならず近くの乗客にも同じような効果を及ぼしたのです。もちろん、これは他の状況には当てはまらないかもしれません。でもHSPが、定期的にその内なる静けさを周囲の空気に浸透させることができれば、その方法がどのようなものであれ、世界はどれだけ良くなるだろうと私は思うのです。

 実はこれは目新しいことではありません。どのような時代、どのような文化においても、人々は内なる静けさに入っていくことで、自分のみならず周りの世界に役立とうとしてきました。例えば修道院に入り、内なる静けさを大切にする人生を選択した人たちもいます。あるいは社会に参加しながら、内なる静けさに人生の大部分を捧げた人たちもいました。この二つを同時に行うことも十分に可能なのです。実際、内なる静けさに多くの時間を費やしたとしても、リフレッシュしたり、穏やかな気持ちになったり、あるいは仕事が効率よく進むようになることで、十分にその時間は埋め合わせされるのです。

 その文化・伝統がなんであるかに関係なく、内なる静けさと穏やかさの深いレベルにコミットした人たちは、誰もが同じように、その状態がとても深く、満足の得られるものとして表現しています。その状態を表す言葉について、たくさんの引用を私はみなさんにご紹介できるのですが、なかでも一番ふさわしいのは、おそらく“純粋意識”と呼ばれるものでしょう。と言うのは、それが思考や感情、知覚なしで成し得るものだからです。思考や感情が働いていないといっても、内なる意識はとても冴えています。ですからその状態を “輝くような暗闇”と表現する人もいれば、“どこにもない宮殿”と表現する人もいます。仮に誰かが、そういった体験は単なる脳の活性パターンの一つに過ぎない、と言ったとしても(そしてそれがとても有益なものだと認めたとしても)、その状態を経験した人たちは、それを言語を超えた、様々な究極的なものと結びつけるでしょう。例えば、神、アラー、ブラフマン、最高の存在、あるいは存在の根底(※1)といったものに。

 私の友人の一人で比較宗教学者のRobert Formanは、こうした普遍的な経験を、世界中から異なるロケットに乗って宇宙空間に飛び立った宇宙飛行士になぞらえています―彼らは皆、無重力状態を体験する。そして彼らがどんなふうにそれを表現したとしても、それらが同じ状態であることに変わりはない。純粋意識の場合も、内なる探索をすることで、彼らは同じ状態にたどり着いたのではないだろうか―と。

家以外の場所でもできる?ええ、難しくはありません

 「自分の心が完璧に静止した状態なんて想像できません」、そんなふうに思う方もいるかもしれません。でもそれで良いんです。内なる深い静寂とは、必ずしも思考のない状態とは言えないからです。例えば深い静寂は、思考の奥に横たわる背景のように感じられるかもしれません。あなたが心の中に深く入っていくとき、その静かなる背景が表層に浮かび上がってきます。あるいは、生きていると心に湧いてくる、様々なものを映し出すスクリーンみたいに感じられるかもしれません。でもしばらくすると、そのスクリーンそのものが、興味深く、魅力的なものに思えてきます。「“モンキー・マインド(お猿さんの心)”を落ち着けましょう」(※2)、という言葉を聞いたことがありませんか? そのモンキー・マインドにバナナを一本だけ与えることで、心を落ち着かせると考えてみて下さい。その状態は完璧な静止ではなくて、ちょっと揺れ動いているかもしれない。でも心は喜びを感じているはずです。というのは、心というものは深い状態を愛するものだからです。たとえあなたが日々のストレスのなかで、それを放り出していたとしても。私が半世紀にわたって一日2回の瞑想を、なんの問題なく続けてこれたのも、きっとそのせいだと思っています。

 この状態に達するために、なにもあなたは神秘主義者になる必要はありません。あなたをとても深い静寂へと連れて行ってくれる様々な瞑想方法があります。特に毎日できる方法の中に。私がいまみなさんに伝えたいのはこういうことかもしれません。それはとても自然で簡単なことで、言わば、それを経験する権利をみなさんは生まれながらに持っているのだと。ですから、もしかしたらあなたは以前、偶然にも、その深いインナーサイレンスを経験しているかもしれません、ひょっとしたら子供の時に、それも誰からも強制されることなく。とっても自然にできるので、もしあなたが始めるつもりがあるのなら、そしてあなたが規則正しい人なら、数日あるいは数週間単位で、ぜひこの深い静寂を(どの深さでもいいので)体験してみてほしい(何年もとはいいませんが)。仮に毎日(自然の中で過ごす、ヨガ、祈り、精神集中、黙想などを)実践しても、静寂にたどり着けなかったら、時間を増やすことを検討してみてください(ただしその時は、別のこと、例えばあなたにとって大切なことを犠牲にすることのないように)。

 あなたがインナーサイレンスに上達したら、最終的に、日常の中でなんなくそれが出来るようになるかもしれません。驚くほど簡単に、どこにいてもそれを享受できるようになるかもしれない。それにインナーサイレンスにはコンテンツがないので、あなたがその時していることを邪魔することもありません。ほとんど同じように続けることができます。でも脳の全体的な状態は、違って感じられるようになるでしょう。

 私の(そして他の人たちの)経験から言うと、インナーサイレンスを意識できる回数が増えてくるにつれ、人生に穏やかな満足感を覚えていくようになります。人生のあらゆる領域で、物事がどんどんと簡単になっていく。まるで魔法にかかったように。もちろん完璧な人生なんてありませんし、ある意味苦しみはずっと続いていきます。でもそんな時も、同時に、そう、人生について満足している、と感じられるようになっていきます。

 ここまで、インナーサイレンスの深い状態、そしてそれが人生にどう統合されるのかについて、とても詳しくお話してきました。それは私が、ほとんどのHSPは探求者として生まれてきたのではないか、と思っているからです。あなたがそのことを(今はまだ)意識していなかったとしても。あなたが見つけるべき道、ゴールがどのようなものか、ということについては、私は話したくありません。でも、あなたを、あなたの内なる探求者と二人だけにしたいとも思っていません。ですから、ここでのお話が、みなさんの間で話題になってくれたら、と思っているんです。あるいはもっと単純に、もっと効率的なダウンタイムをとれるための、刺激になってくれればいいなと。あなたがもっと少ない時間で、もっと休めるように!

 最後に、私は、みなさんがいま世界中で起きている、非常に多くのことを心配していることを知っています。でもここまで読んでくれたみなさんは、なんらかの内なる静けさが、それに役立つということに同意してくれることと思います。現在の状況に絶望し、行き詰ってしまうことは、結局は何の役にも立ちません。対照的に、インナーサイレンスは穏やかさをもたらします。それによって全体像が見えるようになり、落ち着きを得られれば、そのことは私たちにとても役に立ちます。私たちHSPは、より深く、より多く、内側へ入って行ける。私たちがもっと、他の人たち、そして周りのあらゆることに栄養を与えることができれば、それによって、私たちも栄養を与えられるでしょう。

 私がオリジナルの“最後の講義”を書いたのは、多くの人がインナーサイレンスのことを知らず、またそれを日々の生活の中にどう統合していったらいいのかを知らないことに気づいたからです。これは、人の驚くべき能力についての基本的な知識の欠如、恐ろしいほどの不幸のように思えます。人類のほとんどが泳げることを知らなかったら、と想像してみてください。おかしいでしょ? 私たちHSPは、人間性のことについては、真珠取りの潜水手のように優れています。だから、彼らに犬かきくらいは教えてあげられるようにならなくては!

訳者注:
※1 ”存在の根底(the Ground of Being)”とは、神学者ティリッヒの言葉。

※2 「モンキー・マインド(お猿さんの心)を落ち着けましょう」とは、よくヨガや瞑想で使われる言葉。サルはバナナを手にしていても、新しいのを見せられると、いま手にしていたものを手放して新しいものを取ってしまう。このことを、いろんな情報や思考に振り回されて、一つの思いに集中できない人間の心に例えている。情報を選択し、目や耳から入ってくる情報を減らしましょうという意味。

最新のブログ記事

HSPの最新の本のお知らせ
The Highly Sensitive Parent

ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。
25周年記念エディション

HSPのドキュメンタリー映画
Sensitive Lovers:恋人たちの関係をさらに深く探る”リリースのお知らせ

このドキュメンタリーは、 映画“Sensitive and in Love”に織り込まれた科学的根拠やアドバイスをみなさんに提供します。 詳しい情報はこちらから

Sensitive and in Love

私たちHSPにとっておそらく最も大切なもの―愛する人との関係に敏感さがどう影響するか―にフォーカスした長編映画。the Sensitive and In Loveの詳しい情報と購入はこちらから

センシティブ:語られなかった物語

レンタルと購入はこちらから


Entire Web
HSPerson.com

ニューズレターの購読申込

ニューズレター“The Comfort Zone”では、イベントや本のリリース、ブログ投稿、それ以外にもHSPだったら関心を持ちそうなニュースなどのアップデートやお知らせをいたします。ぜひお申し込みください。頂いた個人情報はどこにも提供いたしません。

メーリングリストへの参加はこちらから

※ニューズレターは英語のみになります。

このブログについて

これまでEmailニューズレターとして年4回配信していたComfort Zone は、2014年、現在のような形に生まれ変わりました。理由は、エレインにもっと時間的余裕を持たせたかったのはもちろん、ブログという形の方がより早く情報を発信でき、かつ柔軟で、読む人がいま興味を持っている題材についても取り上げやすいと思ったからです。さらにメーリングリストの購読をお申し込み頂いた方には、ブログに記事が投稿された際には、そのメールを通してお知らせを受け取れるようにしました。みなさんから頂いたコメントについては、エレインからお返事をすることはありませんが、すべてのコメントには目を通し、なにかインスピレーションを得た場合は、将来記事として投稿されるかもしれません。また、なにか重要なお知らせがある場合には、ブログよりもメーリングリストの方でその情報をお届けすることになると思います(ブログは年に4回、定期的にしかアップされないので)。過去にメールで配信したComfort Zone の記事の数々は、今でもまだタイムリーな内容を誇っています。豊富な量のComfort Zone アーカイブをみなさんがフルに利用できるよう、グーグルサーチを設置しました。ぜひそれを使って過去の記事あるいは現在のブログのトピックを探しみてください。

The Original Book

HSPのあらゆる側面をカバーした総合的な紹介書。世界中でベストセラー。32ヵ国語に翻訳。最新の研究を要約した著者の覚書もついています。

エレイン・アーロンの他の本はこちら

連絡先

連絡を取りたい方はお問い合わせのページから目的に合ったアドレスを選んでご連絡ください。

※このサイトはアメリカのアーロン博士のHPの日本語版です。メールでの連絡は英語でお願いします。
※日本語版へのご連絡はこちらへお願いします。

この日本語版サイトの文章及びデザインは、エレイン・N・アーロン博士の許可を得て使用しています。このサイトの翻訳文・デザイン等を、作成者の許可なく複製・利用することは著作権法で禁じられています  ―  日本語版サイト作成・運営 久保言史 kotton@mbr.nifty.com
Some of the design and wording of this website is used with the permission of Dr. Elaine N. Aron and nothing here should be reprinted without permission of the designer and translator, Kotofumi Kubo.