Suicide and High Sensitivity
自殺とHSP
By Elaine - 139 Comments
これまで、そんなに多くはないのですが、HSPと自殺について質問を受けたことがあります。そしてそれに答えなければと感じていました。厳しいテーマですが、とても重要だからです。また自殺は主に春に起こることが多いことから、いまこの記事を書くことは、時宜にかなっていように思えました。
まず話の前半において堅苦しい3人称を使うことをあらかじめお詫びしておきます。これはこれから話すどの箇所も、あなたに(=2人称)に当てはまらないようにと願っているからです。ただそんなふうに書いたとしても、当てはまってしまう方もいるかもしれません。HSPだったら誰もが自殺に似た気持ちを抱いたことがあるかもしれませんし、それに以下でお話しするように、彼らは(HSP)は他の人の自殺に強く影響されてしまうからです。
※訳者より:3人称は「わたし・わたしたち(1人称)」「あなた・あなたたち(2人称)」以外のすべての人や物を指します。例えば「彼」「彼女」「彼ら」などです。アーロン博士の書き方通りに訳すと読んでいて違和感を覚えられるかもしれませんが、その意図を生かすためにあえてその通りに訳してみました。読者が解釈に迷うと思われる部分は()で何を指しているのか示してあります。
HSPと希死念慮
まずは、この問題の否定的な側面に取り組んでいきましょう。私は、HSPはうつ状態にある時、自殺を考えやすいのではと考えています。なぜなら、彼らはあらゆることを人一倍深く感じ、そこには絶望感や無価値観、失望感を伴った気持ちの落ち込みも含まれるからです。さらにそこに処理の深さが加わることで、彼らを落ち込ませているもの、あるいは単純にとても落ち込んでいることから生じるあらゆる帰結について、当然思いを巡らすことになります。そしてもちろん間違っているのですが、もうこの地上にいるべきではないという結論に至ってしまいます。彼らは(自分は)あまりに役立たずだ、あるいは弱すぎる、と感じて。
あるいは、彼ら(自分)が他の人たちにあまりに迷惑をかけているので、自分の愛する人たちにとって、彼ら(自分)がいない方が良いと思ってしまうかもしれません。でも繰り返しますが、これは”完全に”間違っています。それどころか、彼らが行動に移せば、そのことでその人たちを深く傷つけてしまうことになるでしょう。
こうした思考のプロセスを続けることで、やがて計画を立てるようになるかもしれません。そしてこれは自殺の最も危険な兆候だと考えられています(誰かが自殺の計画を口にする場合は、とりわけ助けが必要な時です。インターネットを検索すれば、他にも多くのサインや、国のホットライン(=いのちの電話)も含めた様々な援助機関が見つかります。ほとんどの国はこうした援助機関を持っていますが、この記事では詳しい自殺防止の情報については割愛します)。
HSPについて他に推察できることは?
才能ある学生の自殺率は高く、また天才について研究している人たちによれば、彼らは通常、とても感受性が高いといいます。その主な理由は、才能ある学生の多くが完璧主義者で、また他人からもそうあることを期待されていると感じているので、成績が低かったり、発表でへまをすると、そのことで自身を追いつめてしまうからではないかと考えられています。すべてのHSPが天才というわけではありませんが、それでもHSPだったら誰もが、時には完全主義に悩むことは容易に想像できます。失敗した、あるいは他の人たちを失望させてしまった、と思い悩んで…。
才能ある学生たちのリスク要因としては、他にも、彼らが他の生徒と異なるために、人気がなく、場合によってはいじめられる可能性が考えられます。HSPもまた人と違うと感じていて、そのために時にいじめられた経験を持っているかもしれません。
しかし何より大きいのは、HSPが、自分の敏感さから生じる因果関係をひどく嫌っていることではないかと思います。私はこれまで何度も、彼らがこう話すのを共感をこめて聞いてきました―自分は他人と違う、”変わってる”と感じることにうんざりしている。そして他の人と同じような生き方ができないために、これまでいろんなものを失ってきた―と。彼らは自分の敏感さをカバーしながら必死に生計を立てなければならないことや、大切な人たちからの批判に落ち込みやすく、またその姿を見た彼らからさらに”扱いづらい”と思われることに疲れていました。これまで多くの仲間たちが、HSPを力づけたり、その敏感さに誇りを持てるように努力してきました(例えば、ジャクリーン・ストリックランドと彼女の主催する”HSPの集い”の支援者たち、そして”センシティブ―語られなかった物語”へのたくさんの寄付)。それでも時には、これまで長く誤解を受けてきた経験や、トラウマ、遺伝的な要因などが、命を奪ってしまうケースもあるのです。
では、今度は肯定的な側面を見ていきましょう。私はHSPの自殺率は、実のところ残りの80%の人たちより低いのではと直感しています。そう、まさにこの直感ゆえにです。彼らが本能的に備えているこの処理の深さのために、衝動的な行動は少ないように思えるのです。彼らは不安になりやすかったとしても、同時に、時間をかけて何度も物事を考察するので、後になって人生を異なった見地から理解するようになるかもしれません。また、彼らが自殺を口にしたとしても、実行すべき計画として話しているというよりも、むしろ深い処理や強い感情が高まった結果として、”例え”として話している可能性があります。”自殺したくなるくらい辛い”と話したとしても、それは、どれだけ辛い気持ちなのかを表現しているだけかもしれません。それに、HSPはどんな感情にも―それが喜びであっても―圧倒され、その感情を徹底的に追及しようとすることは、みなさんよくご存知ですよね。
もうひとつ私が考えているのが、自殺が周囲の人たちにどれだけ恐ろしい影響を及ぼすかついて、HSPは気がつきやすいということす。仮に、あなたがHSPにそのことを思い出さてあげたら、それがどれだけ人を傷つけるかということに、彼らはすぐに気がつくでしょう。なんといっても、彼らは共感を司るミラーニューロンに優れ、他の人たちがどう感じるかについて、敏感に察することができるのですから。
あとに残されたHSPへの影響
自殺はあとに残された人たちに非常に大きな影響を及ぼします。ましてそれがHSPなら確実に。もし、親しい誰かを自殺で亡くしたら、人は酷いショックを受け、その後は深い死別の悲しみにくれるものです。そしてその理由がわかならなかったら、HSPだったら何としてもその理由を理解したいと思うでしょう。”なぜこの人は、人生という贈り物の大切さを理解しなかったんだろう? プライドなどにこだわらなければ、もっとこの素晴らしを享受できたんじゃないだろうか?” ”なぜ愛するこの人は、どれだけ大切に思われているかを考えないで行ってしまったんだろう?“などと。あるいは、見捨てられた、裏切られた、あるいは怒りの感情さえ感じるかもしれません。とくにHSPにありそうなのは、もしかしたら助けることができたのでは、と心に病むことかもしれません。自分が一番防ぐことのできた人間だった、あるいは唯一の人だった、あるいは、あの時話してくれてさえいれば、と。もっと悪いのは、もしかしたらあの時ほのめかしていたのに見落としてしまった、と思ってしまうことかもしれません。気持ちを読み取れなかった…と。あなたが本当のことを知り得たかどうかはともかく、きっとあなたは誰よりも、失敗したと罪深く感じてしまうことでしょう。
これは私が大学院にいた頃の話です。クラス活動の一環で、私はもう一人の学生と自分たちの夢について議論するためにペアになりました。でも次に授業に行った時、私は彼が自殺したことを知りました。その後、私はHSPならではの激しさでその出来事を振り返り、彼の夢から自殺を予見しておくべきだったのではないかと思うようになりました。そして他の人たちに話せていたら、と。でも夢はどのようにも解釈できました。その後、信頼している教授の所へ行き、安心感を得ることができましたが、それでも、私は罪悪感を完全に消し去ることはできませんでした。
このように、他者の自殺は私たちに深刻な影響を与えます。自殺によって先立たれた人たちのために、助けとなるウェブサイトがたくさんあります。もし、いつかあなたの身にこうした事態が起こったら、どうかそれらを役立ててください。
事故としての自殺
研究によれば、ほとんどの人が自殺を考えたり、前もってそれを誰かに話したり、試みたことがあることがわかっています。ただ、その人たちはたいてい、相反する感情の間で揺れ動いていることもわかっています。実際に行動に移し、成功するまでは、迷っているのです。ただ、これは私の直感ですが、認知症(※)や、治る見込みのない病気から逃避するケースを除いて、実際には事故による自殺の可能性が高いのではと思っています。特に若者の場合、このケースが多いように思えます。彼らは気持ちが落ち込んだ時に、時間をかけて対処するといった経験をほとんど積んでいません。だから、自殺を逃避や解決の手段、あるいは自分を失望させた人たちへの意思表示だと思い込んでしまうのですが、(自殺したとしても)そのように周囲の人たちは評価してくれないということに、彼らは気がつかないのです。こうして私たちは、とても多くの将来性のある命を失ってしまいます。
※訳者注:初期及び軽度の認知症では、将来の不安から自殺のリスクが高くなるという研究結果がある。
特に心が痛むのは、若いHSPほど自殺の必要性を感じてしまわないだろうかということです。だから私は、世界中の高校や大学のカウンセラーに、HSPのことを生徒たちに教えてあげるだけで、どれだけ役に立つかということを呼びかけられたらどんなにいいだろうと思うのです。例えば、HSP尺度(HSPセルフテスト)を使って新入生をスクリーニングし、あてはまった彼らにHSPの映画を見せたり、あるいは本を配るだけで、とても役立つのではないかと思うのです。
”事故”の意味について話を戻しますね。これは”最悪な状況”と言っていいかもしれません。心、体、魂、すべてが沈んでしまう状況です。心であれば、そびえ立つ波と格闘しているようなものかもしれません、たとえば、ひどい裏切り、拒絶、仕事への辛辣な批判、大きな敗北や失敗、あるいは自身の反応をコントロールできなかったことへの恥ずかしさや無価値感などとです。―そしてその怪物のような波の下に心は沈もうとしています。
体であれば、多くの場合、眠れなくなったり、栄養のある食べ物をとろうとしなくなったり、あるいは運動をしなくなることで、肉体的な健康、中でも脳内の神経伝達物質が急激に低下します。これらの物質が減少するとわれわれはうつ状態になりますが、その減り方が大きいと症状は大きく悪化し、ほとんどの人は自殺を考えるようになります。さらにそこにアルコールや薬物の問題が加わると、摂取前か後かに関係なく、自殺企図が頭に浮かぶようになります。また(物質によって)心が不明瞭になることで、リスクは急激に高まり、行動自体が非現実的に感じられるようになるでしょう。―そして船を浸水し、傾いていきます。
スピリチュアルな面では、このような状況に陥れば、誰もが自分の生き方に疑いを持つようになるでしょう。でも疑いの方が勝ってしまうと、すべての意味が、そして根本的な支えまでが失われたように思えるかもしれません。―こうしてメインマストが折れ、船は沈んでしまいます。
この、自殺は事故であったというアイデアは、時に、残された人々に役立つのではないかと私は考えています。特に、10代の子どもを失った親たちには。事故だったとしても愛する者の死に向き合うのは難しいものです。でも少なくとも故意の(そして愚かな)自殺ではなかったと考えてみることはできます。もしかしたらそうだったのかもしれないと感じられたら、それだけで、心は慰められるかもしれません。多くの場合、人は、生きたいと強く感じているものです。ですから、それをやめてしまうということは、何か普通じゃないことがあったのです。ではなぜ普通じゃないことが起きたのか? それこそが事故です。
私は、多くのHSPが自殺を考えたことがあり、そしてそれ以上に他者の自殺に打ちのめされたことがあるのではと、と感じています。今こうして生きているあなたは、物事はやがて変わっていくということをきっとご存知でしょう。そう、どのような感情もいつかは変化していきます。敏感さには感情の激しい高まりが伴います。でも、私たちがこの敏感さの価値を理解すれば、私たちは自殺以外の解決方法を見つけられるようになり、また他の人たちがその方法を学ぶことを助けることができるようになれるのでは、と思うのです。ですからともに、この両方ができるような人になっていきませんか。