Impermanence and the Highly Sensitive Person
非永続性(無常)とHSP
By Elaine - 74 Comments
これからお話しすることがすべて、みなさんを落ち込ませるような内容ではないので、心配しないでくださいね。ここ数年の間に起きたような急激な変化、HSPがこれらのことを無視することは難しいでしょう。洪水や干ばつのような異常気象、あちらこちらで起きる森林火災やそれに伴う煙の被害。避難を強いられた方や個人的に喪失を経験した方もいたことでしょう。そして私たちは現在、(あなたがしているかどうかは別にして)マスクや、ワクチン接種のための行列、議論の間さえなく次々と変異していく新しいウィルスと共に生きています。私たちはこうした急激な変化に慣れなければいけないのかもしれません。でも、みなさんはどうかわかりませんが、私には、大好きなアメリカスギの林が高温の火災で失われていくような変化は、受け入れがたく思えるのです。
科学者の中にはこう話す人たちもいます―“我々は、人新世(アントロポセン)―人間が地球上の様々なことに大きな影響を及ぼすようになった新たな地質世代―に生きているのだ”と。だから私は最近よくこんなジョークを言うんです、「彗星の到来に気づかずに地上を闊歩していた恐竜と違って、少なくとも人類は気づけるようにはなった」と。(白亜紀ジョーク※)
※訳者注:恐竜を絶滅させたのは、小惑星ではなく彗星(すいせい)だったとする新しい研究が、ハーバード大学の研究者らによって発表されている。時期は6600万年前の白亜紀と古第三紀の間とされる。
非永続性はずっと永続してきた
哲学者なら、我々は今、非永続性の時代を生きていると話すかもしれませんね。でも“非永続性”は、はるかギリシャやヒンドゥーの時代から、常に哲学における大きなテーマとなってきました。最近では仏教の人気もあって、私の家族や友人たちの間でも良く耳にする言葉になっています。ブッダから発展した教えはとても多く、今では彼がその無常の人生で語った以上の教えが存在しています。ただ確実に言えるのは、ブッタがブッタになってから初めて説いた言葉は(悟りを開いてからと言う意味)次のようなものでしょう―すべて形あるものは変化する、ゆえに、この非永続性こそが苦しみの原因である。なぜなら変化していく運命にある、若さや愛するもの、あるいは人生そのものに我々は固執するからである。“だから自分が何物も所有していないと信じるものは、決して何も失うことはない”。
ブッタの教えでは、永遠に続くものはないと悟り、すべての愛着を手離し、瞑想の助けを借りることで、人はニルヴァーナ(解脱、涅槃)に達することができ、カルマ(業・因果応報)や生と死のサイクル(輪廻)から自由になれる、とされています。フムフム、たぶんあなたの理想や幸せとは違うかもしれないけれど、ブッタの説く解決策はこうです。
ヒンドゥー哲学でもまた、永遠に続くものはないと考えられています。ただし、(仏教のように)すべてが苦しみの元とはしていません。特に、知恵はそれ自体大いなる自己(=セルフ)の一部であり、セルフは喜びの源であり、またこちらも瞑想を通じてたどり着くことができるとされています。でもブッタだったら、知恵もまた永遠ではないと言うかもしれませんね。それが何であったとしても。
あなたの解決策は?
とは言え、HSPだったらほとんどの人は、非永続性に向き合う方法をすでに見つけていることでしょう。でも中には、リフレッシュキー(※)を叩く時期に来ている方もいるかもしれませんね。ただ、私から答えを提供することはできません。なぜならその答えは私のものであって、あなたのものではないからです。それにあなたならきっと、先輩たちの考えをもっと発展させることができると思います。
※訳注:キーボードの更新ボタンのこと
そこで、私から(あなたが解決策を見つけるための)きっかけとなるようなリストを挙げてみることにしました。でもリストを完成させることができるのはあなたです。リストの中には互いに矛盾するものもありますが、違う日にそれぞれを活用できるかもしれませんよ!
- あなたが望まない変化に対しては、できる限り抗ってみる。あなたが何かをすることで、その状況をあなた自身が変化させることができます。
- 非永続性というものが確かにある、とわかる程度に向き合ってみる。ただし、人生のすべての喜びを捨て去るほどではなく。私たちHSPは、いつの時代もこうした問題に向き合うことが得意でした。私たちは最悪の事態を想像し、備え、哲学的に考察します。ですから、今、この世界で生きていくためのあなたなりの方法を見つけてみてください。
- 自分の中の平静さを高める。ブッタがそうしたように。年齢とともに、筋力を強くするように平静でいられるようにしましょう。まずは小さな出来事について、そう感じられるようになってみます。何かを壊してしまった?―“別にこれがなくたって生きていける”。車が動かない?―“どっちみち修理すればいいだけ”。誰かに腹を立てている?―“ええ、もちろん。でもよくあることだし、前にも同じようなことがあった。だからもうおしまい”。一方、もっと大きな出来事、大変な変化もあります。そんな時は、もちろん動揺しますよね。そして(受け流すだけではなく)何か行動が必要になるかもしれません。でも同じようこう思ってみます―“これは大変。でも何とかなる。誰かに助けてもらおう”。そう、筋力です。
- 瞑想。私は50年間、毎日瞑想(TM)をやってきて、今お話ししたような筋力を鍛えるのに役立ちました。だから間違いありません。
- たとえ少しでも、変化の良い面を前向きに受け入れてみる。何かが生まれるためには、何かがなくならなければならない時があります。その時は失うことが恐ろしいと思えても、後になって、それで良かったと思える時もいつかやってくるでしょう。
- 大局的に考えてみる。人新世(アントロポセン)の前には完新世(ホロセン)という時代がありました(最終氷河期の終わりから始まりました―氷河期も良い時代だったに違いありません)。では、人新世の後には何が来るのでしょうか? きっとこちらも良い時代なのではないでしょうか。これまで繰り返されてきた“-セン”の時代は、私たちにとって良かったのですから。
- 永続性を信じてみる。あなたにとってそれが何であれ。ええー? ここまできて永続性を信じるですって? ええ、例えばプラトンはそう信じていましたし(※)、他にもそう信じる哲学者たちはいますから、(もしあなたが永続性を信じるのなら)あなたには心強い仲間がいるということです。感じの悪いタクシードライバーがこれからもなくならないって意味ではないですよ。もっと大きな意味でです。おそらく、自然の摂理(法則)だけは、ずっと影響を及ぼし続けるのではないでしょうか。(あなたはそれに調和して生きていくことができる?) あるいは、最も大きな大局観すら超えるもの、すなわち神、もしくはすべての概念より前に存在していたものは永遠に存在し続けるのかもしれません。もしあなたがそういったものや、それらを象徴するものに祈るのが好きなら、ぜひそうしてください。もう一度言いますね。そう信じるあなたには心強い仲間がいるっていうことを。
※プラトンは、目には見えるが、生成と消滅を繰り返す現実世界とは違って、完全な真理である”イデア”は目に見えないが、永遠にあり続けると考えた。(訳者は哲学には詳しくないので間違っていたらお許しを)
- さあ、このリストの続きを完成させてみてください。あなたはHSPです、あなたならできる。