Highly Sensitive High Sensation Seekers―
Giving Equal Love to Both Parts
刺激追求型(HSS)のHSP―それぞれにひとしく愛を注ぐ
By Elaine - 13 Comments
今回のブログのテーマはHSPと刺激追求型にしました。なぜならみなさんに最新の研究について知ってほしいのと、このテーマに関するBianca Acevedo、アート・アーロン、私、Tracy Cooper、そしてRobert Marhenkeの論文が、2023年のCurrent Research in Behavioral Sciencesの4号にちょうど掲載されたばかりだからです。論文記事すべてをご覧になりたい方はぜひこちらから。
”何かをやってみることは素晴らしい、でもやらなかったとしてもそれも素晴らしい―ただ素晴らしさの種類が違うだけ”。実は私自身、HSPであると同時に中程度の刺激追求型(以下HSS(※))なので、時々、”旅行好きの子ども”と一緒にいるような気分になります。その子はしょっちゅうこう尋ねてきます―「いつそこに着くの?」「そこに着いたら何をするの?」「その後は何をするの?」と。私は彼女のことは大好き。でも、う~ん、やっかいになるときもある。そう、だから、もしあなたもそうならば、どちらのあなたも愛してあげてほしいのです。
※訳者注:英語ではHigh Sensation Seeker。略してHSS。
刺激追求のレベルについてもいろいろあります。非常に高い、高い、中くらい、中くらいの低め、低い、などなど。だからもしかしたらあなたもこの特性を持っているかもしれません。たとえばほんのちょっぴり(=平均よりわずかに高い程度)。でもあなたのHSPの部分がその特性をコントロール(抑制)しているので、気がついていないのかもしれません。ですから、ここからセルフテストを受けてみてください。もしあなたがこの特性を持っていなくても、この2つの特性を併せ持つ人たちについて知りたいと思ったら、テストの項目に目を通してみてくださいね。
HSSの特性を併せ持つHSPの存在に、いつ頃私が気がついたのかはよく覚えていないのですが、2000年に刊行された『敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。』(※)では、すでにHSSの標準尺度を書き加えています。なぜかと言うと、この両方の特性を持つ人が恋愛関係に陥った時何が起こるのかを、私個人の経験や他の多くのHSPとの出会いからよくわかっていて、この特別に重要な特性について書き加えるべきだと思ったからです。それに、一人の人間の中でこの2つの特性がいかに衝突するかを考えれば、この特性を持つ人と持たない人が恋愛関係なった時にどれだけの衝突になるかは想像がつきました。
※訳注:日本では2001年に講談社から『敏感すぎてすぐ「恋」に動揺してしまうあなたへ。』という邦題で出版され、現在は『ひといちばい敏感なあなたが人を愛するとき』(青春出版社)というタイトルで改訂版が刊行されている。
私はその時に作成したHSSの標準尺度(※)を新たに修正しました。そしてその新しい尺度はMarvin Zuckermanの本の中で紹介されています。修正した理由は、質問項目の中に、「大きなけがにつながりかねないことをする」とか「非合法の薬物の摂取をする」など、HSPだったらめったにイエスと答えないような項目があったからです。それゆえ、よりHSPに適したものに直す必要がありました。ただ残念ながら本の出版後、そのHSP向きの尺度を学術ジャーナルに載せる時間的余裕を持てませんでした。ですから、その存在を他の科学者たちに気づいてもらえなかったのですが、それがようやく今年になって、論文として掲載されたのです。
※訳注:尺度(スケール)とは心理測定などで用いる評価基準のこと。質問形式で項目が並んでいる。
もちろん、HSPに刺激追求型がいるわけがないと考える人たちも多くいることでしょう。刺激追求という行動はHSPを刺激過多にさせるからです。“この2つの特性は正反対じゃないの?”と多くの人は考える。でも、“とても敏感”であることの反対の性質は、実は衝動性―最初に考えずに行動する―なのです。HSPは行動を起こす前に、すべてのことについてじっくり検討しますが、これはこの特性に必須の要素です。ですからもしHSPかつHSSのタイプが、新しい、エキサイティングな体験をしたいと思ったら、まず最初にそれに関するすべてのことを学ぼうとするでしょう。HSSは、衝動性や危険性を好む性質ではなく、退屈しやすい、あるいはルーティンのなかに様々な変化を取り入れたいと思う性質なのです。たとえば、旅行や新しい食べ物に挑戦したい、といったふうに。詳しくは、Tracy Cooperの本、Thrill, the High Sensation Seeking Highly Sensitive Personを読んでみてください。
今回の最新のHSS/HSP研究は、今日では完全にスタンダードになったオンライン方式で行われました。217名の実験参加者に、敏感性、衝動性、危険行動、及び刺激追求に関する2つの尺度について回答をもらいました。1つは、HSSの標準的な尺度で、飽きやすい、新しいことに挑戦したいといった質問のほかに、衝動性(”ハッピーな気分の時に問題となる状況に自らを追いやってしまう傾向がある”)や危険行動(”自分を傷つける可能性があったとしても、危険な行動を取ることがある”)に関する質問が含まれています。そしてもうひとつの尺度は、私が上記の本に書いたHSP向けのHSS尺度です。
では結果はどうだったか? HSSの標準尺度では、HSPの人たちはそうでない人たちよりも少し低いスコアをつける傾向がありました。これは衝動性や危険行動に関する質問のせいです。かたやHSP向けに特別にデザインされた尺度では、HSPがそうでない人たちよりもスコアが低くなることはありませんでした。つまり、敏感性とHSSとの間に関連性はなかったということです。別の言い方をすると、2つの特性はそれぞれ独立している。あるいはHSPの内約50%はHSSで、約50%はそうではない。さらに別の言い方をすれば、あなたや他のHSPがHSSである可能性はフィフティフィフティである、とも言えます。もちろんHSSのレベルは様々なので、私たちはそのレベルの中間点を挟んでどちらか一方の側だけを話題にしているとも言えるでしょう。
もうひとつ興味深い結果がありました。それはHSPがネガティブな気持ちを体験している間、HSPではない人たちよりも、少しだけ衝動的になる傾向が見られたことです。これは” ネガティブな切迫性”と呼ばれるもので、あなたが心地良い状態を維持したり、たくさんのダウンタイムや境界線を持つためのいい動機になるでしょう。刺激過多なったからといって、馬鹿な真似をしたり、衝動的な行動をとりたくはありませんよね。
消えることのないいくつかの問題
2つの特性を合わせ持つということは、内面に重大な対立を引き起こす可能性をはらんでいます(これについてはすでに、Tracyの本に書いたものと同じ内容をここに書いています)。想像してみてください。あなたの内側に2つのバージョンのあなた―HSPとHSS―がいることを。この対立はたびたび片方の側に後悔の気持ちを生じさせます―HSSの側を優先すれば、当然その状況はHSPの側に好ましくないものになります。例えば、あなたのHSSの部分があなたをパーティーに連れて行くとします。するとあなたは散々な思いをする。そして後悔する。一方パーティーに招待されたけれど、あなたのHSPの部分があなたを行かせなかったとする。すると今度は、素晴らしいチャンスを逃してしまったとあなたは気に病むかもしれない。こちらもまた後悔です。
これまで私が行ったパーティーはどれくらいあったか、そしてその中で行って良かったと思えるものがいくつあったか…振り返ってみると、う~ん、そんなに多くはなく、良かったと思えるものもごく一部だけでした。そして当然、私の内なる2つのパートは最後に両方とも不満を覚えることになりました。パーティーに行けば、騒々しく、人がいっぱいいて、とても刺激過多、そして私のHSPパートは頭にくる。でも行かなければ退屈になって、今度はHSSパートの方が頭にきてしまう!
とはいえ、新しくエキサイティングなことをして大成功だったら、HSSパートに感謝することを忘れてはなりません。おそらく私にとって最高のアウトドア体験は、グレンキャニオン・ダムからミード湖までボートで川下りした、グランドキャニオンでの13日間の旅行でしょう。このチャンスが巡ってきたとき、私のHSSパートは譲りませんでした。私以外の旅行メンバーのほとんどは非HSPのHSSで、当然ながらクラス5の最も危険な急流コースに出かけました。私はと言えば、美しい景色を見るコースに出かけ、渓谷の一番深い所にある、ピンクと黒のヴィシュヌ片岩の織り成す息をのむような自然の彫刻は、一生忘れられないものになりました。一方、他のメンバーたちがクラス5の急流を出かけている間の、毎日の15分の時間も忘れられないものになりました。HSPにとって急流コースは恐ろしかったので、私をふくめ何人かは、その間川のそばの砂浜で寝そべることになったのは言うまでもありません。気温はものすごく暑いし、川の水はものすごく冷たいし、時にはヒアリにかまれて、その間はずっと大変でした。そして岩を踏みつけた私は足を切ってしまったのです。感染症を防ぐための応急処置に、私は文字通り悲鳴を上げ気まずい思いをすることになりました。でも私のすべてパートは、HSPのパートも含め、その冒険旅行を今でも後悔していません。
HSSパートに対してフェアに
正直もしアドイスを求められたとしても、これまでずっと繰り返してきたアドバイス―HSPパートがハッピーになるような、ダンウンタイムや境界線、ふさわしい仕事やライフスタイルを維持し続けなさいといったアドバイスを、今は繰り返すしかないように思えます。でも最近になってようやく、私は自身のHSSパートもハッピーにしなければならないのだということを受け入れるようになりました。これまで私はその部分を、移り気で、要求の多い、環境に良くない場合でさえ旅行をしたがる、トータルで見れば時間の無駄にしかならない部分だと思っていました。仕事を成し遂げるのに邪魔になる、あるいは、静かで、深みのある、思慮深い人間には属さないものだと。でも今はそのHSSパートを無視すればトラブルの原因になることに気がついたのです。私は退屈になり、元気がなくなってしまう。まるで空っぽになったかのように。
これまで私はこの問題をごく簡単な方法で解決してきています。あなただったらもっと違う方法で解決するかもしれませんね。でも、私の場合について話すと、生活の中に何か新しいことを取り入れることで解決しています。少なくとも週に一回は、心に浮かんだ面白そうなことをやってみたり、気になっている本を読んでみたり、そしてそう、私好みのテレビ番組を観たりして(好きと思える番組は実際はほとんどないのですが)。また欠かせないのは、年に一回より大きなことに挑戦することです。たとえば、数日もしくは数週間の旅行に出かけるとか。HSSパートのためにそれを心に留めながら、他にもいろいろ新しいことを味わうようにしています。同時にやることや新しくやることが多くなりすぎたら―もちろん私はハッピーでなくなってしまいます。でも新しいことが何もなくなったら? 同じくらい私はアンハッピーになってしまうでしょう。
残りの人生でこの2つの側面をもっとバランスさせていかなければいけないことに、私はようやく気がついたのです。でも実際には、年を取ったことで新たな課題に直面することにもなりました。HSSパートのために新しいことを見つけることが難しくなってきたのです。これまでの年月で、魅力的な映画や本といったものはほとんど見てしまいましたし、同じ映画や本を観たり読んだりすることは私は好きではありません。日帰りドライブで行ける面白そうな場所はどこも行ってしまったし、世界中行ってみたかったほとんどの場所も、HSPパートが十分に安全を確かめたうえで旅行しました。私はハイキングが好きなのですが近場はほとんど歩いてしまったし、近くにあるロシアン・リバーを夫婦でカヤックするのも好きですが、何回も行ったのですべての砂州を覚えてしまったほどです。
年を取ることに伴うもう一つの問題は―HSSパートはこれを認めたがらないのですが―年齢とともに、何かをする時の安全性や快適性が少なくなってきたことです。ある時私は落馬をしてしまい、それ以来乗馬を諦めなければならなくなりました。なぜなら、その時脳震とうを起こしたのですが、私の年齢でまた脳震とうを起こすと認知症につながる可能性が高くなるからです。私のHSPパートはこう言いました―”もう十分でしょ。乗馬より脳の方が大切よ”と。他にも、長距離ハイキングをした後に以前よりも痛みを覚えるようになりました。ですから長い下りのハイキングはもはややっていません。片方の膝がどこかおかしくなってしまったのです。最近の私に唯一向いているのは、遠距離の空の旅行だけです。それも”マイル”が貯まった時にビジネスクラスに交換する。はぁ、まるでお子様みたい!
今私の孫の一人がセイリングに夢中になっています(彼はHSPでHSSです)。乗馬によく似ているセイリングに私はずっと心惹かれていたのですが、やってみるチャンスはありませんでした。でも孫がセイリングと恋に落ちてくれたのです。レッスンを十分に積んだ後、彼にせがまれた私の息子が20フィートのセイルボート“フリッカ”(※)を買ってあげました。私と彼以外の親戚は全員船酔いするので、今は彼と二人でセイリングを楽しんでいます。
※訳注:アーロン博士はわざわざ”フリッカ”とカッコで閉じています。フリッカとはデッキ長20フィートのボートのことですが、調べてみると1950年代のアメリカのテレビ番組に名馬フリッカというドラマがありました(日本でもフジテレビで放送)。牧場を舞台にした少年と愛馬フリッカの愛と冒険の物語で、フッリカにはスウェーデン語で女の子の意味もあります。カッコでくくったり、”恋に落ちた”と書いている意味はもしかしたらそのあたりにあるのかもしれませんね。
ただ、私たちはどうしても新しいところにセイリングしたくなります。当然それによって航海が長くなってしまうのですが、私の腰は長時間座っていることを嫌がります。また新しい場所を探検すればより遠くへ航海することになり、アンカーを降ろして一夜を過ごすことにもなります。でも年を取った私には、ボートの中で寝ることには様々な困難が伴います。私の健康を保ち、HSPパートの幸せのために必要な数々のルーティンが妨げられてしまうのです。今の孫の年齢ならそういったことは問題にならないのでしょう。でも私のHSSパートも彼と同じようにしたがるのです。彼は18歳になった時、世界中をセイリングする計画を立てています。そして私の中のHSSパートは小さな少女のようにこう声を上げます―”私も彼と一緒に行きたい!”と。もちろん、むりに決まってます。
提案をいくつか
私にとって主な解決策はクリエイティブであり続けることです。何か独自のものを創作したり書くことが、HSSとして不可欠の要素だからです。だから私は今、HSPとは全く違うものについて本を書いています。HSPについて興味がなくなったわけではありません。でも私が言えることはすでに言いつくしたように感じています。最新の研究については、これからも遅れないように追い続けますよ。なぜって、もちろんそれは”新しい”からです。
私はそのクリエイティブさを、HSSのために新しい活動を見つけることにも活用しています。まだやったこと、見たこと、感じたことがないもので、怖くないと同時に退屈しないものを探し続けています。もちろんそれは狭き道です。時には同じことを違う方法でやってみることもあります。ハイキングだったら、同じ道を月明かりの中で歩いたり、あるいは雨の中を歩いてみたりして。あるいは誰かを連れて行けば、彼らの目を通して様々なものを新鮮に見ることができます。自分が大好きなことの新しい情報にも目を光らせています。演劇やコンサート、バレエ、さらには美術館についての。それらにはみな、新しいシーズンがあるんですから。
またエイジングに伴って何かをあきらめなければならないことについては、私はHSSパートにそれらを受け入れてもらうようにしています。私にとって最良の解決策は、優雅に受け入れることなのです。だからそのことを誰かに嘆いたりもしませんし、HSSパートがそのことでHSPパートを非難しないようにしています。エイジングは私の人生の一部なのです。さあ、これでもう十分話しましたね。
最後に、私はこの2つのパートを、それぞれが互いの強みを持った一つのチームだと考えるようにしています。HSSパートがもたらしてくれるすべての冒険や好奇心、そしてHSPが持つD.O.E.S.(中でも、深い処理、共感と豊かな感情、微妙なことへの敏感さ)を。もし片方しかなかったとしたら、それは私ではなくなってしまいます、よね? 私たちは生まれつき持った気質からは逃れられません。そしてそのすべてを愛することは学ばなければならないのです。他の選択肢はないのですから。